ショックだった。歌手の藤圭子さんが、亡くなった、と言うニュースを聞いたのは、沖縄、那覇のまちを走っているタクシーの中であった。
同乗している与儀さんか、永井さんに教えられて、驚いた。
「宇多田ヒカルのお母さんが、新宿のビルから飛降りたようです」
私の世代なら、宇多田ヒカルの母ではなく、藤圭子の娘はーと言う。
ある時代の、不思議な暗い情念を謳(うた)いあげた天才歌手として、その声は、心の奥に、強い沈んだ印象を、今でも刻んでいる。
芥川賞作家でオーデオマニア、観相家、剣豪小説で超売れっ子の五味康佑先生には、二、三回お目にかかったが、藤圭子のことを「歌は天才だが、気の毒に、薄幸な女性の相だわな」と言い、週間誌などのエッセーに書き、同情を寄せていた。
また、国民的作家の五木寛氏は、絶頂期の藤圭子の歌を演歌ではなく「怨歌」として、時代の負と言うか、陰の部分を象徴的につきつめていく歌ーのような意味をこめて評価していた気がする。そして、こうしたルサンチマンな歌を歌い続けるのは、生き辛いのではないか、と言うニュアンスも述べていた気がする。作家たちの洞察力は、今となっては、残念ながら、まさに的確な予言となってしまった。
フアンの一人として、私は、藤圭子が、引退した形で、1979年に渡米したとき、ああ、と天を仰いだ。五味康佑の予言どうりになってしまう、と思ったからだ。四緑の彼女にとってアメリカ行きは最悪のときであった。二黒の歳破が彼女を待っていたのだ。二黒の営むという象意が、生きることを意味するとすれば、歳破の二黒は営みをやめること、即ち自殺となる。まだまだ、数多くの象意をあげることは出来る。しかし、いまさら詮方ないことだろう、ただ、ご冥福を祈ろうと思う。
運命は、自分のビリーフが決めると、しみじみの むらっち。