じつに、英国の心理学者・ワイズマン博士の「運のいい人の法則」は、私にとって、インスピレーションの文庫本だ。軽いから旅の道連れに欠かせない。
今、オーストラリアのボンダイジャンクションの毎月泊まっているホテルで書いている。
ワイズマン博士のこの本は、抽象的な理論書が山ほどあるなかで、きわめて実践的ハウツウに満ちている。
人間行動と自然との繋がりとのなかで、実践哲学・気学を、文字通り、実践していると「運」と言う非科学的テーマに、正面から、向き合うことになる。
ひとつハッキリしているのは、人生に「運」は、必ずあると言うことだ。その上で、ワイズマン博士は「運のいい人の法則」を、客観的に統計的に見つけ出そうとしている。
たとえば、この文庫本の226ページを開いてみよう。
不運に見舞われたとき、と言う小見出しで、設問がある。たとえばー。
例1.運転免許の試験で4回連続失敗した。あなたなら、どうしますか?
と幾つかの設問がある。そのあと、運のいい人と悪い人に全く同じ質問をする。
運の悪い人は、すぐ諦め、失敗から何かを学ぼうとしない。
運のいい人は、諦めず、失敗から教訓を学ぶ機会として、専門家に相談したり、斬新で建設的な解決方法を思いつく。
つまり、運のいい人は、過去の不運な記憶(情動記憶)を引きずらず、幸運な事を考えようとするわけだ。
不運な場合。
水が怖い。狭い部屋は落ち着かないとか怖い。○○の食品は、絶対食べられない、等は、解りやすい例と言える。心身症はその典型なのだからー。
ワイズマン博士は、だから過去の不運な記憶を消しなさい。として、次のように結論付ける。
「運のいい人は、積極的に行動して将来の不運を避ける」
当然ながら、ワイズマン博士のこの結論は正しく、誰もが納得もできる。
しかし、そこでお聞きするが、あなたは
「不運な目にあったとき、すかさず、積極的に行動して将来の不運を避ける」方ですか?
もし、何事においても、そうしてこられた方は、幸いであり、幸運な人生を歩んでおられる方だろう。
そうではなく、好き嫌いがあり、人間関係、体調、仕事や夢や目標の達成に、なにか、今ひとつ足りないものがあると、感じておられたり、将来への不安があっり、人生の方向性が揺らいでいたりすることはありませんか?
もし、そうならば、ワイズマン博士の提唱は解るが、そこに、何かが欠けていることに、お気付きのはずである。
つまり、「マイナスの情動記憶に囚われず、積極的に、しかも好き嫌いなく、迷信に囚われずに、前進する方法は、どうしたら、身に付くのか。情動記憶はどうしたら消せるのか」と言う具体的方法が欠けていることに、お気付きのはずである。この本にはそこには一切触れていない。
ここで、思い出されるのがアンダース・エリクソン教授(米国の心理学者)の提案である。
知識と技能の区別が、目的達成に必要で、あらゆる分野で才能を発揮する分岐点となると言う。
ひらったく言えば「何を知っているか」ではなく、
「何が出来るか」「如何に実践するか」
が、最後にはモノを言うということだ。
とするならば、ワイズマン博士の本で「運のいい人の法則」は解った(知識)が、その知識を活かした実践力はどうしたら身に付くのかが、最大のテーマになる。
さあ、どうなさいますか?
それが次の大切なテーマとなる。
自問自答のむらっち