シドニー、てんやわんやの年の暮れ その2

滞在して、はや20日目です。 

あたふたと、日本をはなれて、まだらボケのおっさんが、妻と共にいそいそと、真夏のオーストラリアへ。
年末・年始で、ここも全豪7都市が、普段より、活気づいている(ような気がする。7都市巡っているわけじゃないもんね。ウソついたらあかんやろ)    

だから、正直いうけど、あたふた日本を離れたから、洗面具は忘れる。着替えはほとんどない。幸い夏場だから、女性とちがって身支度簡単。でも、この上なく優しいヤマノカミが、いくらなんでも着た切り雀じゃーと、クリスマスバーゲン  で、シャツこうたる!と気前いい。 
 実は、政治家並みに、深謀遠慮。自分の誕生日(本日がそうだけど)が近いのを計算に入れているのは、見え見えだけど。それでも嬉しいじゃありませんか。チャンチャン

いそいそと、隣接するデパート群へ。一流とされるD.J.へ。妻に拉致されるごとく、引っ張られながら、
(人は、なぜ、祭をするのだろう。どうして、いろいろな行事があり、お祭り騒ぎをし、そのために、稼ぐ人もいるし、莫大なエネルギーと費用を使うのか。大晦日から元旦にかけてシドニー湾では、130万人の人出での世界的な花火大会がある) アニミズムやシャーマニズムに関係するんじゃないか。アボリジニ、マオリ、インディアンや世界の原住民も、それぞれお祝いとイベントがあるじゃないか。内容と意味が違うけれど。そこにはどんな深い意味があるのだろうか。

なんて、アホなこと考えるので、足がもつれる。
紳士物のバーゲン売り場へ。選べというので、綿の長袖シャツ二枚を手にすると、レジに私を引っ張っていく。
💰お金を払うだんになっていきなり彼女が
「違う!違う!」と、レジの若い女性に言う。なぜか、ふて腐れぎみのレジの彼女に、妻は違うというゼスチャーをしている。そばにいた男性スタッフが、口を挟む。と、カミさんが、京都弁でなにか、彼に答えたところ、かれは、シャツ二枚を持って、カミさんと、シャツを吊るしてあったところへ行った。
わたしはボーッとみているだけだ。戻ってきた二人、カミさんが、ニコニコしている。自分の主張が通ったのだろう。男のスタッフが、ふて腐れている若い女店員に、早口でなにか言う。満足そうなカミさん。どうやら、二点での割引を、若い女店員は、一点一点正規の値段で売ろうとしたことが、ボンヤリしているわたしにも理解できた。
「ほんま、油断も隙もないわ」と、カミさんは紙幣を女店員に払った。二枚のシャツを袋にいれてカミさんに渡すと、女店員は、仕事は済んだとばかり、レジをうち終えて、さっさと、そこを離れようとした。
「ちょっと、ちょつと待って!」とカミさんがひき止め、お釣りちょうだいなと、京都弁でいう。

なぜか、それが通用したのか、戻ってきた店員が、レジを開けて、20セントのコインをカウンターにビシッとおいた。
(お釣りをもらうのは悪いのかな)とつい思ってしまう。

レシート見ると、20セントで正しかった。

先日、モーリーに行くとき、フェリー乗り場の切符売場で、100ドル紙幣をだして、私はお釣りを見ないで、そのまま、ポケットにいれた。フェリーでおつりをカミさんに渡したとき、はじめて、80ドル前後足りないことに気づいたのです。

  今となれば、どちらが悪いのか?
悪意か偶然か、計算能力の違いか。確認に遠慮は入らぬか、などと考え、やはり、風土の違いも出るようだ、と思う。

コミュニケーション能力とは、文化・風土・習慣・言語の違いを超えるところにある。言語をマスターして、さらにコミュニケーション能力があればいいのだがー。

                   ボケ防止は海外の買い物でこその むらっち


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