ウーン、このテーマ、検閲厳しい、うちの山のカミさまに、削除を命じられるかなぁ。でも、この字面から想像される内容と違う話しなんですけど。
札幌の昼下がり、からりと晴れて、大とうりはまるで、秋の涼しさ。
プリンスホテルの近くのレストランから、満足の腹を擦りつつ出てきたばかり。
昨日も同じ店。同じメニュー。一年続けて食べたい! ああ、しあわせ!
昨日、お勘定のとき20代前半に見える娘に、「はい? 5千円といくら?」 とききか返す。
「お客様、うちは、そんなに、ボリませんよ(笑)」 と金額をいう。
「ええ?そんなにやすいの! お料理ご自分がつくったの? へえスゴく美味しいから、五千円でもいいよ」
「わぁ! ほんとですか、嬉しいです」
そんなやり取りで、お昼時を避けて、今日も入ったのだ。いつものように、ロシアの神知学の創立者・ブラバツキー夫人に似た目の大きな堂々とした体格のおばさんが、昨日のテーブルにつく私に、メニューをもってくる。
20代のころ、わたしは、食事をすることとトイレにいくこととが男女の愛の交わりと同じ比重を占めて、とても、人前では、恥ずかしい行為であった。
だから、食事をするのが、苦痛で、トイレにたつのが、恐ろしくいやであった。これらは、性愛と同じく秘め事でなければならなかった。この、生存に必要な基本的行為への過剰な自意識から、脱出するには、ずいぶんな時間と努力が必要であった。
私は、だから、自分のことをグルメとか言うひとの神経が理解できなかったものです。だから、グルメとは、今でも、口が避けても言えない。なのに、うちの山のカミさまは、私にこう言う。
「美味しい物には目がないし、そのためには、ヘリコブターに乗っても行きたがるよね」
ー黙ってしまうしかない。が、私は、だから、あまり、ここの料理がうまいとか、料理の能書きは言わない。いや、言えない。いう知識がない。
それでいて、日本のトップレベルのレストランで、夜だけ4年間も働き、学生時代を過ごしているし、卵料理と味噌汁とチャーハンは、料理のプロで、うるさいカミさんに合格点を貰えるぐらいの腕は、あったが。言わない。
作りなさいと、言われないためには、沈黙は金ですからね。
そこで学んだのは、味覚は、個人によって違うという原則だ。
共通性はあるにしてもー。
「味覚音痴の人物に本物の芸術家はいない」と言っていたのは、あの流行作家の五味康佑だった。帝国ホテルを定宿にしながら、愛妻の味噌汁をいつもポットで運ばせていた。
そんな私の自意識過剰や、虚弱体質やアトピー体質は、祐気採りをしているうちに、いつの間にか、変化し、少しはタフに変わってきたようである。
結論。
骨も臓器も細胞からなる。その細胞はある時間がたてば、全て入れ替わる。新陳代謝によってー。もし、自分が10年前と同じだとしたら、なんの変化・成長・進化もないと言うことです。
ある朝、鏡見て、
「あれ? この人、だれ?」となれば良いわけです〓
夏の涼しさに浮かれて
むらっち