スーパームーンの札幌の夜。
お客が帰ったあとの8階の部屋の窓を、急いで開ける。夜空に、早い雲の流れ。その切れ間に、満月。 反射的に出てくるマントラを唱えつつ、感謝を述べる。現在、悪戦苦闘している何人かのお名前をあげ、本人達に頼まれもしないのに、それの軽減と望みの成就とを、感謝とともに祈念する。
なにか、ワクワクしてくるこころのこの高ぶりー。これが、私への報酬なのだ。
正式の「天体に祈るアート」を受講され、私に、新月・満月の祈願文を依頼されたY.M.さんからのお返事が、思い出されてくる。
知性派の誇り高いM社長夫人は御主人の製造業とは別に、自らもある教室を運営されている。
私からの祈願文が届きM夫人が、それを読んだとたん、涙が溢れてきたと、メールにはある。
天体と我々が、密接に作用しあっていることは、角田忠信博士の研究を待つまでもなく、昔から、よく知られた事実である。
ずいぶん昔、ある雑誌に依頼され、そのエッセーに「ーーこの世に生かされている私達は、山川草木にーー」うんぬんという1行にクレームがつき
「こんな宗教的な考え方の人に、人生を語る資格なんかないよ。生かされているのではなく、自分で生きているんだ」と小バカにされたものです。
天体と私達が作用しあっていることは、古代から、知られていたし、科学的にも一部は証明されているのに、下の地べたのみをみて、モノしか見ない近視眼的物質主義タイプには、笑止なのだろう。
また、宗教かじり趣味のかたにも、素直な理解と天体の波動の体感はないようです。わかったつもりで、今生の一生を終えるのでしょうか。
そんななかで、M夫人をはじめとする感動のメールは、天体との感応を促し、証しとするものでしょう〓
私達は、自分の未知・無知を認める謙虚さをもつのか、我が知をほこる傲慢さに気づくのか。それが、運と不運とをわける。幸運なかたは、ひらめきとアイディアが与えられ、傲慢なひとは、それが、枯渇して、常に、不運に東奔西走している。
その負のスパイラルから脱出するには、謙虚しかない。気位の高さと傲慢さは、天体からの何のエネルギーも叡知も、その器には注ぎ込まれない。
真の感謝は、謙虚さからこそ生まれる。
口先だけの感謝は、毒にしかならぬ。
ゆえに、そんなひとは、毎日、不運の種をまいていることになるでしょう。
満月に感謝をむらっち