ニューヨーク~豊かさの原理 その 4

セントラルパークでの気学的奉斎、昼食も済んだ五名は、SH社長に先頭にたってもらい、五番街に行くことになったと、前回は書いた。

五人とも、ご機嫌そのもの。平川団長と富士晴美さんの会話は、途切れることがない。あれほど話が続くとは! ほとほと感心させられ、だからこそ女性は長命なのだとも。

臨時案内人のSH社長の先導で、パークを抜けて大通りに出た。皆さんには黙っていたが、ちょっとした思い出のマジソン街である。
しかし、SH氏は、さっさと、そのマジソン街路を横切っていく。景色が変わる。サッと、辺りの気が変わってくる。晴れ晴れした心地よさ。だが、マジソン街路からは、遠さがるのみである。
あのロックフェラーセンターの広場で、行きたいと思っていた思い出のマジソン街のある一点を探し当てることを、じつは、この地が初めてのSH社長には内緒で密かに、期待したのである。氏の無意識に働きかけるという、こころみである。大切なセレモニーも無事にすみ、時間はたっぷりあるのだから、と。

いつだったか、枝美佳と二人で来たとき、マジソン街路の角の二階の、お洒落なカフェで、早朝、お茶をした。
そこにくる直前、二人とも、ある人との偶然の出会いに、ワクワクして語り合っていたお洒落なカフェを探し当てたいのだ。そして、迷いつつながら、思い出のそこに、なにもご存知ないSH氏が、ついに導いてくれた。が、皆さんになにも言わず、想い出に胸がつまりながら、そこの前をなに食わぬ顔で通りすぎ、一行と五番街にむかった。

何年か前のこと。枝美佳と二人でニューヨークに来たときのこと。
なぜ、そうなったのか、今でも不明だけど、早朝、全く人通りのない小綺麗なビルの間の歩道を、軽く腕を組んで歩いていたら、ふと、やはり腕を組んだ女性カップルに気付く。私達以外に、人影はない。
狭い歩道で、互いに、道を譲りながら、すれ違う瞬間、先方が、[ ハァーイ! ] と、とても暖かい声をかけてくれた。その短い声に、お元気? この出会いがうれしいわね! という意味すらこ込められているように思えてならなかった。
通り過ぎたあと、興奮して枝美佳が、大声をだした。

[ オノ ヨウコ! あのオノヨウコが、私に声をかけてくれたのよ! オノヨウコさんってスゴイわ、スゴイ人よね ] 

と、飛び上がらんばかりの喜びようであった。今でも、思い出して彼女は、幸せ気分をまるで、牛のように反芻し、興奮するのである。実をいえば私だって同じ。
それは、ニューヨークの人影のない早朝、時間のとまった映像のヒトコマか、または一枚の絵画のように、思い出のアルバムとして、心のなかにある。

私達が、例えミーハーであれ、なんであれ、あのおおらかさ、受容性の高さ、人の心を拓くぬくもりは、紛れもなく、人生におけるあらゆる局面に愛の灯をともす力ではないか。 そして、それこそが、幸運を引き寄せる原理でもあるはずである。わかっていても反射的にできる人は少ない。

事実、オノ ヨウコ さんは、セントラルパーク沿いの最高級マンション-ダコダハウス最上階に住んでおられる。そこは、年収2億円以上であること。犯罪歴のないこと。しかも全住人(30世帯)の一人でも反対があれば、住めないという厳しい条件がつくという。お金があると言うだけでは、だめなのだ。

マジソン街路の一角で、早朝に、その貴重な体験を反芻した思い出の場所を、これまで一度も訪れたことは、なかった。時間の出来た今回、何にも知らされていないSH氏を先頭に、意図的な、シンクロニシティを願ってのこころみは、こうして叶ったのであった。私は、その事を、今、このblogで、はじめて公表している。五名のうち何人がこのblogを読まれるかは、わからないけれど。知らずに、楽しく、歩いて下さった方々に感謝します。

シンクロニシティの根底にあるのは、超越的意識である普遍意識の非局在性ゆえであるのは、間違いありません。そこを刺激すること、そこに近づくことで、我々は、無意識のうちに、目的達成に導かれていく。豊かさの意識は、共鳴作用で、豊かな金運を引き寄せる、それは原理であるからだと、言えるのだろう!
豊かさは、愛の現れでもあるのだ。

                                                       どんな存在にも愛の温もりをと、ヌクヌクのむらっち


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