グレース妃と美少女の幻想

南国は、もの皆美しくする、なんて聞いたことはない。けれど、グァムのロッテホテルの広いロビーのテーブルに向かい、海を見ながら仕事をしていると、そんな気になってくるのだ。

血塗られた歴史を知らぬわけでもない。今月のはじめ、パリのコンコルド広場の見える木立のなかの椅子に座っているときも、うしろめたさを感じながら、幸せのひとときをすごしたばかり。

そして、今、南の島にいる。人影がして、ふと、顔をあげると、なんと、グレース・ケリーを小柄にしたような美少女が、「コーヒーをお代わりしますか」と聞く。午前中いた白人の美青年と交代したらしい。どぎまぎした私は、反射的に「いらない」と言ってしまった。

しばらくして、後を追って「コーヒーをください。やっぱり飲みたいです」少女は、はにかむように、クスリとわらって、「お席にお持ちします」

わたしは、ボーッとしながら、9月にJALの機内で見た「グレス・オブ・モナコ公妃の切り札」という伝記ドラマを思い出していた。

今年度のカンヌ映画祭のオープニング作品である。26才の若さで引退したオスカー女優グレース・ケリーとモナコ君主レーニエ大公との結婚は、20世紀のおとぎ話として語りつがれている。

しかし、モナコ王国を、フランスのときの大統領ド・ゴールの野心から救ったというグレース・ケリーの愛の英雄的行為は、知られざる歴史の一ページであったことが、このドラマでわかる。公妃は単に美しいだけではなかった。フランス領にされかねない母国の危機を救ったのは、テロリズムではなかったのです。愛の無限の優しさからくる知恵と本当の勇気でした。

南は、九紫。美は九紫。知恵は九紫。勇気は九紫の先天の六白。映画は九紫。愛は、一白と七赤の究極に六白性の純度が加わった慈悲で、普遍性の愛でしょう。精神性(スピリット)の高みも九紫でした。

ニコール・キッドマンは、グレース・ケリーにもともと似ているので、役としてピッタリです。それにしても、あの題名、もう少し、グレースであってほしかったなあ(笑)。
ケリーバッグは、いまでも人気なんだろうか

                                                                                   幻想に耽るむらっち


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