シェラトン・都ホテルでの2月1日のセミナーは今後の「分岐点となる」と、事前に、暗示もあり密かに直観していました。
その予想どうりになりましたが、実は、出席が危ぶまれていたのです。
それぞれご多忙で、ご事情あるなかで、ご自身のビジネスの利益を棚上げして、また、打算抜きのご奉仕の方々など、本当に、ゆかりある人たちが、ご参加を頂きました。
現地の1月31日から、2月1日にかけて、パリ経由イスタンブールの乗り継ぎで、「islisのテロリスト」による後藤健二さんが殺害されたころ、緊迫した時間を、イスタンブールの空港で、じりじりと待機させられていました。トルコのスタッフが、緊迫したやりとりを無線でやっている。しかし、言葉がわからない。
私のそばにいた中東の青年が、首を振りながら「お気の毒です。日本人の人質、絶望的です。落ち着くまで、危険なので、飛行機は飛ばないようです」と、教えてくれた。
彼は、私が落とした読み差しの本を、軽やかな身ごなしで拾ってくれながら、そう、英語で、ささやいてくれました。
そのトルコ航空は、それでも、大幅に遅れながらも関空に帰着してくれました。
「あしたの新春セミナーに出れる」と、無性に感謝の念が湧いてきて、有り難いとつぶやいていました❗
流血と憎悪とエゴの渦巻くこの星に、日本人の果たす役割を、示すためのメッセージが、次の日の「新春セミナー&懇親会」のあとの
フィナーレで、いきなり