パラオ共和国からもどり、札幌のセミナーを終えて、そのまま、伊丹空港に飛び、京都の妻の実家近くのマンションへ。
大阪本部で11名のカウンセリングをし、次の日セミナーを終えて今、枝美佳どもども、東京に戻る新幹線のなか。
スマホで、村田晴彦名義の、昔の自分の名前の本をさがした。
あった!あった!懐かしいのなんのって!
正直、まだ、生きていたのか、とそんな思いがする。
数日前のこと。関西のある方が、昔の私の本の名前をいい、「手元にあれば、貸してほしい。古本は、プレミアがついて高いから」
と言うのである。
びっくりするほど、うれしくなり、そういけば、二年前、家に出入していた鍼灸師の方々が、書棚から、すっかり忘れていたその本を貸してほしい、と言っていたのを思い出す。
その本とは「驚異の智通エキス」村田晴彦著 オレンジ出版社。新書判で、おそらく、もうとっくに絶版の本である。
インターネットでひくと、ちゃんとあった。ついでにいえば、全盲の歌手・伊藤あきひろの伝記も書いていたことを思い出す。たしか全国の図書館に入っているはずで、しらべると、出てきた。
嬉しいという思いとともに、不思議な感覚に襲われた。二冊の本との思い出は、まるで死んだはずのひととの再開か、いや、それとは違うかな。第一、そんな経験はない。
じゃあ、愛用していて、遠い昔に無くしたものが、突然でてきた時の感覚、というべきだろうか。
はたまた、なん十年も忘れていた初恋の人に、いきなり会った衝撃か。
しかし、どれともすこしづづ、違う。
共通するのは、どこかにある懐かしさと面映ゆさ、である。
全くジャンルが違うのに、この二冊は、同じ出版社から出ていることも、不思議な縁を感じる。
今年は、九紫太歳方1千倍というのが、気学上の特徴です。
とすると、昔の本との再会は九紫。本自体が九紫。二冊が九紫。プレミアついて価値が上がっていること、これも九紫である。
また、ペンネーム(晴彦名義・昌謙名義)と本名の著作活動も九紫でしょう。著作して表現する行為が、また九紫である。
と言う具合に、今年の特徴の一つに特化して現象(象意) をみても、気学の法則どうりに解釈できる。出来事の奥にある法則性が読めるところに、実践哲学の面白味が尽きないところでしょうか。
と、ひとりニタリとしていると、新幹線は、東京駅にすべりこんでいた。
慌てて降りるむらっち