幸運と不運の法則 その6

38度とか37度の日本を離れて、14度から20度前後のオーストラリアに来て、はやくも10日近くが経った。
 
いま、帰国の途につく。ある国のエアーラウンジで、ホッとして、今回の旅行中で、立てた目標の仕事の7割りしか出来なかったのを、つらつら反省している。書けなかったこのブログもその一つです。
 
R・ワイズマン博士の幸運の法則に端を発して、6回目のblogになります。
繰り返し述べているように、ワイズマン先生に反論しているのではありません。全てもっともなことで、納得できる内容に、感動しているのです。
 
ワイズマン先生のそれが、NHKのテレビで取り上げられ、残念ながら、見落とした私に、何人かの方々が、教えてくれたのです。慌てて、本を読み、そして、この連載のブログになりました。
 
星風会のメンバーは、知的レベルの高い方々が多く、国際的に活躍されたり、その分野の一人者や、万巻の書を読破しそうな社長さんたちが大勢おられます。
子育ての名人から、主婦業の達人まで多彩です。
 
多彩な人生で、それぞれの個性が開花し、望みが叶うことのお手伝い、または、お産婆さんの役割が、私の一つの使命であるので、様々なご相談にのってきました。
それは遣り甲斐があって、楽しい仕事です。少し、生意気を言えば、そのかたの隠れた(潜在的)能力に、光をあて、顕在化のお手伝いの喜び、見上げるほどに、育っていく姿をみるときの驚き!
こんな生き甲斐はないと、思っています。
 
と、いま、搭乗しました。ANAの機内で書いています。ラウンジと機内は、なぜか落ち着く書斎か、くつろげるリビングのような空間です。
緊急の電話やファックスの強迫観念がないからかもしれません。
 
それはさておき、幸運と不運の法則のつづきです。
 
前回「実存的変容」と言う言葉を使いました。これは、心理学で言う「実存的危機」によって、可能となります。
実存的危機とは、あからさまに言えば、自分が生きるか、死ぬかのギリギリの瀬戸際に立たされたような危機感のことです。
 
この機内で、最新の映画の「二つ星のシェフ」を見終えて、凄く感動して、いま、その余韻に浸りながらかいています。
 
超一流の腕のあるシェフが、自堕落な生活のため、転落し、再起を図る物語でした。
誇り高い彼は、失敗から死ぬ覚悟をする。しかし、かれの実力を知るライバルや部下に助けられ、立ち直っていく。地獄の体験をとうして立ち直っていく姿が、まさに「実存的変容」であったわけです(前回ふれましたが)
 
この「実存的変容」がないかたは、同じ失敗を繰り返す堂々巡りの人生を歩む。
とてもじゃないが、幸運な人生とは言えまい。
 
いつまでも堂々巡りを繰り返すのは、完全なバカか、自惚れの傲慢な質の持ち主か、マゾ的ナルシストか、のどちらかでしょう。
 
と書いているところは、大阪・伊丹空港のラウンジです。結局、シドニー空港に始まり、機内に移って、さらに羽田空港。関西での2つのセミナーと11人のカウンセリングを終えて、いままた、台風と一緒に、北海道・千歳空港に向かうひとときを迎えているのです。
 
結論を、急ぐわけではないが、「幸運なひとは、アダム・グラントの言う成功したギバーの人であり、ワイズマン博士の幸運の4つの法則には、人に与える力を加えることが必要」ということが、私の主張です。
 
そして、それら(ワイズマンの法則とグラント教授の説)を達成するためにこそ、「実践哲学」である「量子気学」の徹底活用が、必要なのです。なぜなら、善なる人間の本質を量子気学は、無理なく、自然なうちに引き出してくれるからです。
 
幾多のノウハウや知識のベースに、気学による意識の啓発があれば、「最少最大の法則」の効果が楽しめるはずです。
 
さて、一区切り。搭乗時間となりました。
 
                                                       時差ボケで地のボケがなおった   むらっち


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