「6年前の東日本大震災とは違う満月前夜だっがー」
「まさか、6年前の同じ日の同じ夜のように、高速道路がストップするとは🎵」
「東日本大震災のあの時間に、大地が揺れて、この影の先の桜の木にすがっていた私」
「植えたこの沙羅双樹の木は、大震災を知ってか知らずか、やがて芽吹くはず」
6年前-
2011年3月11日午後2時46分。福島原発から直線距離96キロ地点の那須の山荘にいた。
大きな揺れに、妻の枝美桂は、イーちゃんとマナロアを抱え、電話をしていた私は電話を切って、慌てて庭に飛び出した。
歩けない。
大地がうねっている❗
辛うじて、庭の桜の幹にすがった。10メーター先においてある白いステーションワゴンが、海に浮かぶ小舟のように、揺れている。
大地が波打つのを、生まれてはじめて実感した。
昨夜の夢と同じだ。
枝美桂の夢はリアルであったが、私の夢は象徴的である。夢日記を3年間つけて自分の夢の特徴を知っていたので、その日のあさ、のんびりと、二人で、語り合って、近々、なにかあるかもね、とお茶をしていたものだ。
そして、一昨日の3月11日の午後2時46分。枝美桂と、6年前のあのときの同じ現場にいた。
桜の幹に手をかけて
被災者への黙祷を捧げる。
写真を撮る。庭は、何事もなかったかのように、静けさをたたえている。
私が植えた沙羅双樹も、やがて芽吹くだろう、とほっとして、東京にもどるために車に乗った。
高速の東北道。夕暮れの空に満月まえの月。快適なドライブ。
6年前の惨事を回想する。
あのときー。
余震が続くなか、夢に見たとうりに、混乱の起きる前に、急ぎガソリンを満タンにし、コンビニで水と食料品とを仕入れて、東京に向かった。
停電のため、信号は消え、高速道路は閉鎖。一般道を走るが、やがて渋滞で夜。1時間半か2時間で着く東京に、11時間かかり、次の日の明け方に着いた。
そんな思い出を語り、平穏無事な幸せを噛み締めているとき。
「大変、高速道路で火災だって! 通行止めよ」
「そんな、バカな!」
と、あわてて、疾走する車内から、標識をみる。
本当だった。
急ぎ、高速道路を降りる。長蛇の車列が、ずっと続いてうる。ワアーオ あのときと、同じじゃないか❗
那須山荘に、通いだしてから、10年がたち、6年前のあの大地震の時の様相に似た状態に、ゾッとする。
3.11の同じ日、同じ時刻、同じ道路で、東京に向かう。10年のうちのたった二回目の体験。
まさに負のシンクロニシティである。
京都で体験した1月17日早朝の淡路・阪神大震災と東日本大震災の共に近辺のこれも二度目の体験。
セレンディピティとシンクロニシティの意味を追及する者として、また、量子気学の体験を科学したい者の一人として、決して、見過ごすことの出来ない出来事である。
ハンドルを握る枝美桂に聞こえぬように、呟いた。
「二度有ることは、三度あるー。
忘れた頃にやって来ると言う災害を、事前に知る手だてはー?」
車は、深夜、ようやく首都高に入っていた。
いつもの東京タワーが、何事もなく、夜空に輝いて見えた。
予知夢は、紛れもないシンクロニシティの一つであるがー。
★つかの間、ほっとする、気休めのむらっち