70万円の得で130万円のそんな出会いとは ~奇跡が起きた~その7

その夜は、たっぷり瞑想し、「遠雷と蜂蜜」 の大団円の小説の織り成すバーチャル・リアリティーにひたりきり、爽やかな朝を迎えた。
心身ともに、充実感に満ちている。

500ページ余の大部な作品を、読みきった満足感、虚構の世界に盛り込まれた真実のもつ迫力と、才能と後戻りできぬ運命の流れ、青春の爆発的生命のほとばしりが、トレースされる自分のセピア色に霞む青春の名残とかさなり、炙り出されてくる。
感動と大きなカタルシスの涙が、ヘルシンキの清々しい朝を迎えさせてくれたのだろう。

約束の朝だ。8時30分。ピッタリに電話が鳴った。レセプションからお客様だとの連絡に、待ってましたと動く。
以下は、派遣されたガイドのヨシミさんの、立場で書こう。

あまり日本人観光客は来ない、街から離れたホテル。ビジネスホテル風の4つ星。10分ほど早めに着き、ロビーのソファーに座って待っていた。
指示によれば、村田さんと言う名の男性だな、心のなかで確認していると、すらりとした細身の日本人青年二人が、目の前を通り過ぎようとする。ヨシミさんは、立ち上がって声をかけた。
「村田さんですね?」
「はい、そうですが」とすらりと背の高い青年が答えた。
「私、ガイドのヨシミです。あの、どちらが、村田さんで?」
「は? 二人とも、村田製作所の者ですが。昨夜、ここに着いたばかりですけれど」
ヨシミさんは、ビックリして、慌てて自分の勘違いを、謝った。こんなことってあるんだ、人生には。どんな確率かは知らないけれど、と思いながら、ソファーに座りなおした。ノーベル賞の田中博士を輩出した京都に本社のある、あの村田製作所の村田だったのね。

そこへ、6階から降りてきた私は、60代半ばのヨシミさんに会ったのだった。「ちょっとした奇跡ですよ。会わないはずの場所での日本人に、同じ名前の間違いって。凄い確率よ(笑)」自己紹介のあと、村田違いを、笑いながら、ヨシミさんは気さくに語る。

しかし、本当の奇跡は、この後に用意されていたのだが~。

ヨシミさんは、大学では、比較文化を研究し、フィンランドに惹かれて生活、現地のエンジニアーと結婚し30年になるベテランガイド。
時間を無駄することなく、てきぱき動く。
電車・バスのチケットを買うように促され、小雨降るなか、電車・バスを乗り継ぎ、郊外の遺失物届けの警察へ。銀行の窓口のようなところで、制服の警察官に、彼女は、フィンランド語の通訳してくれ、40分ぐらいで、正式の盗難届け書が、作成された。

さっさと、ホテルに戻ると、彼女は、私に言った。
「2時間ちょっとかかったわね。2時間って言うことで、レゼプションから、会社に報告してくるね」
と、さっさと、レゼプションに向かう。
2時間で80ユーロか。今、それを払わなければならない。だけど、今あるのは、交通費に使ったから、手元には30ユーロし残っていないじゃないか。

どうする? この腕時計を、渡そうか。だが、こんな時に限って、数万円の安いのしか持ってきていなかった。

レゼプションを見やり、電話をしているとヨシミさんから、目をそらし、今朝のソファーで、まず落ち着こうじゃないか。と、そのソファーに向かおうと、前を向くと、二人の日本人青年が、パソコンで熱心に仕事の話をしている姿が、目に飛び込んできた。

なんのためらいも、迷いもなかった。真っ直ぐ背筋を伸ばし、清潔そうな二人の正面に、真っ直ぐ歩んで、声をかけた。
「お仕事中、申し訳ありませんが、緊急なので、3分ほどお時間をいただけますか」ビックリしている二人の青年に、畳み掛けた。

名乗り、ファックスした折の自分の名刺のコピーと、警察の盗難届けの正式書類を、二人の前に示し、一気に事情を語った。そして、50ユーロずつを、お貸し下さいますよう、にお願いをした。
リーダー格の青年が、この盗難届けって、出来立てホヤホヤですね。と言いつつ、もう一人の青年と共に、50ユーロずつを、テーブルに並べてくれた。

そこへ、電話を終えたヨシミさんが、現れた。
二人の青年に、あら? と言った表情で、軽く会釈をしてから私に、2時間で報告して80ユーロでOKですと言う。
その彼女の手に、借りたばかりの中から80ユーロをのせ、改めて多目のチップをご本人と、枝美佳に連絡してくれた女性にも渡して、と託した。
ヨシミさんは、あら、有り難うね、うちの電話の彼女にも、キッチリお渡しておきますね、と嬉しそうに言い、また、どこかでお会いできますように、と陽気に言い残して、帰って行った。

まさか、今朝、こんなところで、同じ村田の名の「村田違い」をした
その村田さんから、この村田さんが、お金を借りて、ご自分のギャラに充(あ)てられたこと。しかも、たった今、絶妙のタイミングでお金のやりとりが、なめらかスムーズになされたこと。
など、ヨシミさんは、全く知らないままに、見事に業務を果たして、帰って行かれたのだ。

二人の青年も、ヨシミさんとやりとりしている間に、出掛けていた。

誰も居なくなったロビーで、人間の知恵を越えた奇跡的なシンクロニシテイのことを、ぼんやり、考えていた。しばらく目を閉じていた。じわーと有り難さが、わいてくる。感謝せずにいられますか。

その時、レゼプションの男性が、電話です、と声をかけてきた。
ドキッとして、ソファーから立ち上がった。

                ∮ ただ素直なムラッチ∮

フィンランドにもいる『ミヤコドリ』には、パスポートなく国境もないのだ。

『正式のフィンランド警察の盗難届』


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