予約なしで、ステーキでは、アンカレッジでトップというノードストロームの一角にあるステーキハウスに、リーサンちゃんと、入る。観光客のないこの季節なら、まず大丈夫だという読みのとうり、すぐ、席にとうされた。各テーブルは、ローソクのあかり。
【暗くて、わたしには、メニューが読めない。それに日本語のメニューを下さい】と、初老のベテランスタッフにいう。この店に日本語メニューがないのは、以前から知っている。何回もいえば、日本語メニューを揃えてくれるのでは、と淡い期待があるからだけど。しかし、【ないです】と、つれない返事である。
未成年のリーサンちゃんにも、グラスの赤ワインのライトのをすすめ、自分は、辛口をたのんだ。
随分前にこの店おすすめのニューヨークステーキを頼んだが、私には、まずかった。大味な気がして、後悔したものだ。
それを、リーサンちゃんに告げて【味覚は人それぞれだから、私は、ヒレステーキに】といえば、ニューヨークステーキは、ニューヨークに行ったときにして、わたしもヒレで、同調してくれた。
リーサンちゃんの柔軟性、適応力、食事に一切の好き嫌いのなさ、大人への自然な対応力と適切なリスペクトの態度などは、東大生にありがちな勉強に一筋のガリガリの秀才ではない。
なによりも、自分よりも優れた同級生や、同年代の女子大生を、心の底から、ほめたたえることに、わたしは、真実、驚き、感嘆してやまない。
父親を早くに亡くした、母親の富士晴美さんの、子育て、教育の賜物でしょうし、静岡から望む富士山をみて育ったリーサンちゃんの生まれつきの資質とが相俟って、こう言う人柄と才能が、花開いたのだろう。
リーサンちゃんは、決して没個性ではない。どころか、強烈な自我の強さをもつ。でなければ、東大医学部に、現役で合格するはずがない。
枝美佳とリーサンちゃんは不思議と気が合う。二人の共通項は、強烈な自我を、よくコントロールしているところではないかと、思える。それ以外は、すべて正反対だろう。
このステーキハウスには、この時東洋人は、我々だけだった。
私の嫌いなパンが、おいしくて、思わず、うまいと、いうと、リーサンちゃんも、久しぶりに美味しいパンに当たりましたという。今朝のクロワッサンが期待していただけに、まずかったですが、これは、美味しいですね。と賛同してくれる。
ヒレのステーキもうまい! サラダをたいらげ、チーズたっぷりのオニオンスープをいただき、ワイングラスを傾けながら、リーサンちゃんの未来を語り合った。
その輝かしい未来と、ハーバード医学部を出てさらにハーバードのビジネススクールも出た人のゼミナールを受けるという話。やっとそう言う人が、現れたか、と嬉しくなる。
医師は、優れたスペシャリストだが、アホが多い、という見方もある。だから、大歓迎だ、ぜひ、そのゼミに出た方がいいと、お節介を言う。いわずとも、リーサンちゃんは、すでに申込んでいるのに。
私はワインを飲みながら、頭の隅で、キリマンジャロの峰峰をみながら、猟銃を口にくわえて、引き金を引いたノーベル文学賞作家のアーネスト・ミラー・ヘミングウェイのことを、思いうかべていた。
有り余るほどの名声と富とを得ていた男が、見た未来は、何だったのだろうか?
いかなる偉大な人物も、自身の展望によって、生の燃焼時間が決まってくるのだろうか。生きること~そして、名声と富は、結果であり、手段としてのツールであったものの反逆はなかったのだろうか
年齢、キャリアに関係なく、プロスペクティブ・メモリーが、人の生き方を決めるのだろう! 気学は、自ずと、それに気づかせてくれる。
うまい料理に感謝!
人生の味わいに感謝の むらっち