天井まである一面のガラス越しに、札幌の街に、粉雪が、舞っている。
今、11月11日午前9時過ぎ、プリンスホテルのコーヒー店。
すっかり葉を落とした、針金のような街路樹に、春のサンクトペテルブルグの街に舞う、あの白いアレのような(笑) 真綿の演舞だ。
昨日、東京・西日暮里でセミナーを終えるニ時間前、まるで、ヌーボーとして、突如、侵入してきた(と、わたしには、思えた)エネルギーそのものの固まりに、皆に話をしつつ、驚く。
濃いエネルギーが人の姿をしていると思いながら、よくみると、札幌から直行したばかりの、なんとホロイワ社長であった。
【札幌は、豪雪になる、明日はたいへんですぞ】そのことばを、ボンヤリ聞いている私に、かみさんの枝美佳が、【セミナー終えたら、古賀さんと一緒に、すぐ羽田空港にいくべし】とご命令。予定では、明日じゃないか。
皆さんにご挨拶もそこそこに、札幌に戻られる古賀さんとともに、カミさまのクルマで、羽田に運ばれたのです。
だが、予約している古賀さんは、ゆうゆうとANAに乗れる。しかし、わたしは、いつものように予約はない、しかし、これでも、ANAはスーパーフライヤーズのメンバーだから、飛び込みでも、どうにかなると、たかをくくっていた。それが、よくなかった。
【本日は、全便満席です。それに、ファーストクラスも、ビジネスもあいにく満席です。キャンセルまちにいたしましょうか? 現在、11名お待ちですが、あしたは、悪天候ですので、皆さん、今日中にというかたが多いようです】
仕方なく、キャンセルまちにする。と、【どうぞ、お席がとれますよう、お祈りしています】と。
キャンセル待ちで、混雑時に、丁寧に、お祈りされたのは、初めてだった!
お祈りされながら、不貞なことに心は、JALに向く。ANAのターミナルから、JALのターミーナルへ枝美佳と、タクシーを飛ばす。
グローバルメンバーのカウンターへ。やはり、ANAと同じで、全席満席! 困惑した私の表情をみたカウンターの女性が、
【他の航空会社ですが、スカイマークのアキをしらべてみましょうか? ただ、うちとの提携もないので、マイルなど、一切のサービスはありませんが】
なんとご親切、サービスなんかよりも、札幌にいけたら、いいのだ。ボーッとしていると、枝美佳がお願いしますとあたまを下げる。
【村田さま、一席あいています。こちらから、予約出来ません。すぐカウンターへお急
ください】¥お礼もそこそこに、枝美佳が、真っ先にスカイマークのカウンターへ走ったのが、良かったようだ。チケットが無事ゲット!
感謝、感謝! 影の声(人間って、こんなときだけ)
だが、これからが、じつは、大変なことが、待っていたのだ!
のんびり、初めて搭乗するスカイマーク(18000円)に興味津々で、搭乗口で、キョロキョロしていた。やがて周りがざわざわ、騒がしくなり、刺々しい声が飛び交う。
ノンビリたちあがりスタッフたちを取り囲む搭乗客の輪に近づき、初めて、事の重大さがわかったのだ。
1) 飛行機が遅れに遅れ、千歳空港に着いても、現地の交通機関は、すでにないということ。
2) 航空会社としては、その保障はないと言うこと。
3) 千歳空港内の仮眠など、滞在は一切許されないこと。
4) 明日の便に振り替えは、可能であるが、ほとんどが、満席で、キャンセル待ちであること。
これじゃ、乗客たちが、パニツク状態になるのは、当然だ、と初めて事態を理解出来た。ふしぎと、こう言うとき、パニツクにならないのは、たぶん鈍いせいかも知れない。
いずれ、どうにかなるから、どうにかなる方法で、その時に、決断しようと、いう訳のわからないような決断をしたので、まわりの状態を観察する側にまわっていた。
すると、50台の女性と20台半ばのロシアの女性とが、千歳空港に着いたらタクシーをシェアしませんか? と、話し掛けてきた。
コックリうなづいてから、はい、宜しくお願いします。と寝ぼけた返事をする。もっと気のきいたセリフはないのかね。
彫りの深いトルコ系の美女は、巧みな日本語で、自分の携帯から、MKタクシーに交渉していた。タクシーで空港から市内のマンションまで、約1万円なのを知っていたが、私は、彼女のかなり厳しくドライバーとのやりとやり、見事だな、とおもいながら、黙って聞いていた。
二人の女性に、タクシー代金は、私が持ちます、と喉元まで、出掛けていたが、お二人の毅然とした雰囲気を尊重して、言葉をのみこんだ。
話がまとまると、わたしたちは、名刺交換をして、搭乗まで、雑談に話がはずんだ。
ロシアの女性は、日本に来て(留学し)日本に在住、トルコに近い国に、生まれ、モスコーで、育ち、妹は、モスコーで、内科医をしていること。
ご主人は、同じ国のご出身。昨年まで、神戸にいて、今年から、札幌に転勤してきた、ということ。
仕事で、世界中をまわっていて、私と共通の思い出の都市がいくつもあったが、とても、口を挟む余地がなく、ひたすら、聞き役にまわっていた。
もうおひとりのかたは、旭川のかた。塾の経営者で、教師。毎月カウンセリングの勉強のため、千葉に通っているとのこと。娘さんか、アメリカに留学し、帰国。大阪で、教師をしている。
ご本人は、世界中に旅行したいが、持病があって、それが難しい。
難病を克服するのは、夢というか、じぶんの役割を果たしたいからの気持ちが、その力になっていると、熱っぽく話す(全くそのとうり)。
健康だったとき、ハワイと、ニューヨークに行ったきりだと、かたる。
さらに続ける
日本人の危機意識のなさ、海外への留学生の減少、海外の大学生たちが、どれ程必死に勉強しているか、そんな話をかたってくれる。全くそのとうりだが、ただ、聞くだけにとどめる。
わたしは、お聞きしながら、ニューヨークに毎月通ったこと。さらにその前にニューヨークにマンションを借りていたこと。ハワイに毎月通っていたり、やはり、そこに、グループでだけど、コンドミニアムや家があったことなどが、走馬灯のように、脳裏をかけめぐる。
まるで、それは、過去世の思い出のようにすら感じられる。
そして、様々な人生の絵もようを伺いながら、枝美佳と二人っきりで行ったあのイースター島で、理屈ぬきにわたしを襲ってきた【生きることは道楽なのだ】ということが、ふたたび甦ってきた。
それは、むかし、ヒマラヤの聖者から直接的聞いた言葉。 神がいると仮定して、なぜ、神はわれわれ人間を創ったのかの、質問に対して【それは、神の遊戯です】と、肩を揺すって静かに笑っていたのを、ありありと思い出す。
それは、しこりのように、長年の疑問として、ずっと我内にあった。その長年の疑問が、イースター島で、わたしになりに、溶けたのでした。
いま、こうして札幌にいる。予定にない行動でありながら、すべては、旨く、つまり、結果として、札幌にいけたというささやかなことがらに、己の小さな計らいよりも、もっと、すごい知恵者にゆだねるほうが、いい結果を得ることがある。
そう思うと、心底、有難い、と言う感謝のおもいがふつふつと沸き上がってくる。
人間って、たまに、全託することがあってもいいじゃん?
賢い方からの山ほどの反論を知りつつ、意識の深さの体験するかたの応援も期待しながら告白しています。
ささやかな中の宇宙の意志に
感謝の むらっち